服飾界に貢献した上田美枝

上田嘉一朗商店のことを知っていただくために欠くことのできない人物がいます。それが、先々代会長の上田美枝です。
上田美枝は上田嘉一朗商店の発展に力を尽くすと共に、生涯きもののことを考え、服飾界にも貢献しました。

毎日気軽にきものを着ることを目的に、女性ならではの視点で新しいアイデアを取り入れた作品は実に100件にも及びます。
また、国内だけに留まることなく、東京オリンピックや海外でも数多くのきものショーを開催し、外国の方々に着付けを行い着物のすばらしさを伝えてきました。
これらの功績により、昭和41年(1966年)に紫綬褒章を受賞しました。

美枝の意思は、現在の上田嘉一朗商店でも大事にしている部分です。
「ミエ(美枝)ブランド」としてオリジナル商品を販売しているだけではなく、その精神を引継ぎ、これからもお客様に喜んで頂けるよう努めてまいります。

以後、上田美枝のきもの人生を振り返っていきたいと思います。

『きもの』を多くの方に着てもらいたい~美枝が発明した100件の考案品

上田美枝の代表的な発明品といえば、特許最高賞である注目発明賞を受賞した『裁ち目無しの産着(きもの)』を筆頭に、『衿袵(えりおくみ)つづきのきもの』『二部式きもの』があげられます。
ここでは、上田美枝が数多くの発明を行うに至った想いと、代表的な発明品をご紹介します。

海外視察できものの素晴らしさを実感

昭和33年(1958年)海外視察上田美枝海外視察フランスパリヴェルサイユ宮殿

(写真は、昭和33年(1958年)海外視察フランスパリヴェルサイユ宮殿)
昭和33年(1958年)、上田美枝は商品視察と服飾研究のため欧米諸国を3カ月にわたって視察しました。諸外国の服飾事情を知り、日本特有の文化としてきものの素晴らしさを再確認
帰国後、日本人がもっときものに愛着を覚え、簡単に着られるように、伝統の形を大切にしながら着る人の立場に立ったきものを作っていくことを決意し、以後、ほぼすべての日々を着物で過ごしました
以降、きものに関する考案は特許・実用新案をあわせて約100件にも及びます。
昭和37年(1962年)、社団法人全国発明婦人協会副会長に就任し、昭和63年(1988年)まで27年間副会長を務めました。
同年、発明振興協会参与・発明学会参与にも就任。

代表的な発明品

つまみ衿と衿おくみつづき美枝きもの展示会
(写真は、昭和30年代半ば つまみ衿と衿おくみつづき美枝きもの展示会)

裁ち目無しの産着(きもの)

海外視察へ行く3年前の昭和30年(1955年)、「赤ちゃんのお宮参りの立派なお祝い着を何とか裁断しないで仕立てられれば、それをほどいて他のものに作り替えられる。断ってしまって一度しか着られないのはもったいない」との思いから『裁ち目なしの産着』を考案。
大妻学院創立者・大妻コタカ氏をはじめ、多くの賞賛を得て、昭和34年(1959年)特許を初取得し、昭和35年(1960年)特許で最高の賞である「注目発明賞」を女性初受賞しました

※きものを作るためには、反物を裁断して縫い合わせて作ります。しかし、赤ちゃんのお祝い着などは、お宮参りのときくらいにしか着ることがありません。一度しか着ないきもののために、布を裁ってしまうのは「もったいない」と考え、折り紙のように折りたたんでいくことで、裁断することなく仕立てる「裁ち目無しのきもの」を考案しました。

衿袵(えりおくみ)つづきのきものと二部式きもの

着崩れしにくい「衿袵(えりおくみ)つづき美枝きもの」、簡単に着られる「二部式のきもの」をはじめ、作品を発表していきました。
昭和38年(1963年)、自身が考案したきものをより多くの人達に活用してほしいとの思いから、特許を初公開した著書「新しい仕立て方のきもの」(大妻コタカ氏監修)をマコー社より発行しました。
平成元年(1989年)、「暮らしの中の発明展」において新たに考案した「スクスク祝い着」が文部大臣賞を受賞。

美容院にいかないと着つけることのできない「きもの」ではなく、伝統の形を大切にしながらも、着る人の立場に沿った着やすいきものを作りたいという思いから、衿と袵を1枚の布で仕立て、2本の紐をつけた「衿袵(えりおくみ)つづきのきもの」を考案しました。これにより、着るのも簡単で、着崩れもしないきものになりました。

東京オリンピックの選手村をはじめとして、国内海外で数多くの着物ショーを開催

1964年(昭和39年)東京オリンピックで行われた上田美枝きものショー

1964年(昭和39年) 東京オリンピックきものショー

昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催時には選手村で「きものショー」を行い、さらに期間中、自らが考案した紐付きの着やすいきもの20組を社員と共に女子選手村に持ち込み、選手の髪を結って着付けをし、記念撮影をして選手に写真をプレゼントしました

詳細は、『1964東京オリンピック選手村で行われた「外国人選手の着付け会」と「きものショー」について』ページをお読みください。

1965年(昭和40年) ニューヨーク世界博覧会きものショー

昭和40年、ジェトロ(独立行政法人日本貿易振興機構)やテレビ局の誘いで、ニューヨーク世界博覧会にて10日間の「きものショー」を開催。婚礼衣装から若い農家の娘の紺絣、子供のきものなど、よそいきから普段着まで20点あまりのきものを紹介。帰路、ハワイでも「きものショー」を行いました。

紫綬褒章受章と各国での世界ショー、テレビ番組出演

昭和41年(1966年)、科学技術功労により紫綬褒章受章「新和裁全書」(日本図書館協会選定図書、全国学校図書館協議会選定書)もマコー社より発行。
昭和44年(1969年)、ジェトロを通じて外務省から依頼され、日本のPRのためフランス、デンマークで「きものショー」と日本の古典衣装の展示を行いました。
昭和48年(1973年)、紺綬褒章受章。
また、『小川宏ショー』や『アイデア買います』など人気テレビ番組にゲストで出演しました。

美枝のきものに対する想いを集めた『美枝きもの資料館』を開館

美枝きもの美術館

昭和53年(1978年)山梨県・身延町に、長年あたためていた「財団法人(現・公益財団法人)美枝きもの資料館」(写真)を設立。全国各地の古い嫁入り衣裳や礼装、子どもの祝い着、自給自足の生活の中で糸を紡ぎ・織り・着継がれた仕事着、農作業着など貴重なきもののコレクションに加え、古来の衣服を2分の1の寸法で仕立てた雛型のきもの標本や、自らが考案したきものを一般公開しています。
平成5年(1993年)にはドイツ、翌平成6年(1994年)にはアメリカ・コロラド州にて「美枝きもの資料館展」を開催しました。

きものに寄り添い、着る人の立場に立ち続けた上田美枝

1993年(平成7年)上田嘉一朗商店創立75周年

(写真は、1993年(平成7年)上田嘉一朗商店創立75周年)
晩年、自身が車椅子を利用するようになると、「座るとどうしても足が開いて中が見えて具合が悪いし、寒い」と感じ、車椅子に乗るための便利なファスナー付きのきものを考案。平成11年の発明協会の展示会にも出品するなど、生涯きものに寄り添い、着る人の立場に立ったきものについて考え続けました
自叙伝「わたしの歩んだ道」(平成3年/1991年発行)、「きものひとすじ九十余年」(平成11年/1999年発行)も刊行。

上田美枝年譜

明治41年
(1908年)
山梨県西八代郡市川大門町に生まれる
大正13年
(1924年)
共立女子職業学校(現・共立女子学園)を卒業
大正14年
(1925年)
上田嘉一朗と結婚
昭和18年
(1943年)
上田嘉一朗逝去。和装問屋・上田嘉一朗を継ぐ
昭和21年
(1946年)
東京都中央区日本橋横山町に上田嘉一朗店を再開する
昭和23年
(1948年)
㈱上田嘉一朗商店を設立、社長に就任
昭和30年
(1955年)
裁ち目無しの産着を考案
昭和33年
(1958年)
商品視察と服飾研究のため、欧米諸国を三ヶ月にわたって視察。作品もしだいに発表
昭和34年
(1959年)
裁ち目無しの産着で特許取得。以降、多数特許取得する
昭和35年
(1960年)
裁ち目無しの産着が、特許では最高の賞で、女性で初めて「注目発明賞」を受賞
昭和37年
(1962年)
社団法人全国発明婦人協会の副会長に就任 発明振興協会参与・発明学会参与に就任
昭和38年
(1963年)
『新しい仕立て方のきもの』(初めて特許を公開する)をマコー社より発行(大麦コタカ先生監修)
昭和39年
(1964年)
衿袵つづききもの「全国女性発明工夫展」に入選 「東京都科学技術功労賞」受賞 東京オリンピック選手村にて、きものショーを開催
昭和40年
(1965年)
風呂敷で作った帯が、発明協会奨励賞受賞 ニューヨーク世界博覧会およびハワイにてきものショーを開催
昭和41年
(1966年)
紫綬褒章受賞 『新和裁全書』(日本図書館協会選定図書、全国学校図書館協議会選定書)をマコー社より発行
昭和42年
(1967年)
上田繊維興業株式会社設立、社長に就任
昭和44年
(1969年)
フランス、デンマークにてきものショーと日本の古典衣装の展示を行う
昭和48年
(1973年)
紺綬褒章受章
昭和50年
(1975年)
伊勢神宮より瀧祭社を迎え、山梨県下部町に、三澤瀧祭社を建立
昭和55年
(1980年)
秩父宮妃勢津子様、美枝きもの資料館ご台覧 山梨県下部町より名誉町民の称号を受ける
昭和58年
(1983年)
高松宮妃喜久子様、美枝きもの資料館ご台覧 東京織物卸協同組合より顕彰状を受ける
昭和60年
(1985年)
山梨教育婦人会の「山梨の生んだ女性を見つめる会」に樋口一葉、小川正子についで選ばれ、甲府市にて講演ときものショーを催す
平成元年
(1989年)
「暮らしの中の発明展」において新たに考案した「スクスク祝い着」が文部大臣賞を受賞
平成3年
(1991年)
山梨県立美術館にて「美枝きもの資料館展」開催 自叙伝『わたしの歩んだ道』発行
平成5年
(1993年)
麻布美術工芸館にて、美枝きもの資料館会館十五周年記念展を開催 三笠宮妃百合子様、秋篠宮妃紀子様、同展をご台覧 ドイツにて「美枝きもの資料館展」を開催
平成6年
(1994年)
アメリカ、コロラド州で「美枝きもの資料館展」を開催
平成7年
(1995年)
横浜高島屋にて「美枝きもの資料館展」を開催
平成9年
(1997年)
㈱上田嘉一朗商店社長を娘裕子とし、会長に就任する 孫の哲司が副社長に就任
平成12年
(2000年)
上田嘉一朗商店、創業八十周年を迎える