上田嘉一朗商店の代表上田美枝が、1964東京オリンピック選手村で「外国人選手の着付け会」と「きものショー」を主催
世界一周視察で世界中の衣装を見て歩き、日本のきものの素晴らしさを再認識した上田美枝は、誕生から成人まで1枚のきものを大切に着ることのできる『経ち目なしの一つ身』や、気軽にらくにきものを着られる『衿衽(えり・おくみ)つづきのきもの』を考案し、1964年の東京国際ホームショーに出品しました。
そのホームショーを見た東京オリンピック女子選手村村長で総世話役の佐閑晴(さだかはる)女史が来年のオリンピック開催中に選手村で世界の女子選手たちに『衿衽(えり・おくみ)つづきのきもの』を着せてほしい」という要望を出し快諾。
「外国人選手の着付け会」が行われることが決まり、あわせて、日本のきものを紹介する「きものショー」も行うことになりました。
代々木選手村(現代々木公園、国立オリンピック記念青少年総合センター)について
軍居住地域だった「ワシントンハウス」跡地に選手村の代々木本村が設けられました。
東西800m、南北1400m、敷地総面積は66万平方メートルに及び、5900人を収容する施設となりました。
現在は、代々木公園として多くの市民の憩いの場となっているほか、宿舎の一部が保存・展示されています。
1964東京オリンピック10月14日代々木選手村きものお着付けの会
東京オリンピックは1964年10月10日より24日まで行われましたが、開催中の10月14日、選手村では、日本訪問の記念になるようにと、着物の着付けと記念撮影できる場を女子選手村のサービスセンター内に設けました。
その一手を担ったのが上田嘉一朗商店社長上田美枝です。
上田美枝考案の「おくみ※」のない着物は、2~3分で花模様の訪問着をつぎつぎにスピード着付することができ、14日だけでソ連(現ロシア)、ハンガリー、ニュージーランド、アルゼンチン、アメリカ、イラン、など各国80名の競技を終えた選手が着物を楽しみ記念撮影を行いました。
好評を博し、日本を楽しむ選手たちとして毎日新聞でも掲載されました。
※おくみ【衽】:着物の前身頃に縫いつける半幅の細長い布のこと。
書籍「東京オリンピック女子選手村」奥山眞著(図書刊行会)について
オリンピック東京大会組織委員会主事(女子選手村担当)の奥山眞女史が、1988年に「東京オリンピック女子選手村」(図書刊行会)を出版していますが、そこに「きもの」という題で、着付け会と撮影会について記しています。
(「東京オリンピック女子選手村」奥山眞著より)
こんどのオリンピックで日本の着物ほど外国の女子選手の娘心を魅了したものはなかった。
10月14日の夜開かれた上田美枝先生の「着物お着付けの会」は押すな押すなの大盛況。
一人の選手に着せ手が二人。
2~3分で花模様の訪問着をつぎつぎにスピード着付。
あこがれの『きもの』に袖を通した彼女たちは大へんなご機げん。
髪に揺れる花かんざしをつけてもらって、「どう、すてきでしょう」と上気した顔を見合わせる。
ふだんはトレーニング姿でかっ歩している選手たちも着物になると日本娘顔負けのしとやかさ。
たもとを持つシナも堂に入ったもの。
娘心には東西はない。
自分の美しい姿にみとれてその嬉しそうな顔。この日着物を着た人は、ソ連のラチニナ、スロメンズシコワをはじめ、ハンガリー、ニュージーランド、アルゼンチン、アメリカ、イラン、メキシコ、ブルガリア、モンゴリア、ルーマニア、ペルー、ブラジル、カナダ、ベルギーなどの選手たち約80人。
(途中省略)
このきものは上田美枝さん考案のおくみなしの改良着。
着物のもたつく部分をすっかり除いて、ループと紐で『きもの』のシルエットを美しく出す仕組み。
化繊とはいえ、色も優雅で模様も古典的な日本調だった。この時以来、女子村は日本のきものにすっかり魅せられ、次々に出来上がってくる写真に大喜び。
試合の都合で着られなかった選手たちも是非一度ということでアンコール・ショーを開く始末。
日頃、強豪ぶりを発揮している選手たちも着物を着ればすっかり娘さん。
しゃなり、しゃなりと危なかしい足どりで、女子村ゲートから男子村ゲートへおでましになった。
とくに黒人のアイダ選手は日本髪ときものがすっかりお気に入り。
同僚の男子選手に冷やかされながら、それでも「日本のきものはステキ。おみやげに買って帰りたい」と連発していた。あまりみんなが日本の着物が好きなので「きものショー」の上田美枝さん、各国に一揃づづ着物をプレゼントしてくださった。
大勢選手のいる国は一応シャペロンが預かるということになったが、付添の役員にいない国では着物と帯とをそれぞれ分けあった。
着物を着て写真撮影をした各国のオリンピック選手たち
ソ連(ロシア)をはじめ、ハンガリー、ニュージーランド、アルゼンチン、アメリカ、イラン、メキシコ、ブルガリア、モンゴリア、ルーマニア、ペルー、ブラジル、カナダ、ベルギーなどの選手たち約80人が参加しました。
以下に、現存する写真と撮影された選手をご紹介します。
(国は、当時のあいうえお順で表記しています)
アメリカ合衆国(United States) | 競泳 | キャシー・ファーガソン選手(Cathy Ferguson) | 100m背泳ぎ、4×100mメドレーリレーで金メダル |
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競泳 | ライネアルサップ選手(Lynne Allsup) | 4×100mメドレーリレーで金メダル | |
競泳 | ドナ・デバロナ選手(Donna de Varona) | 400m個人メドレー、4 x 100m自由形リレーで金メダル | |
陸上 | エリーノモントゴックメリー選手(Eleanor Montgomery) | ||
アルゼンチン(Argentina) | 水泳 | スザナペペル選手(Susana Peper) | |
陸上 | サザナリッチ選手(Susana Ritchie) | ||
陸上 | マベルバリーナ選手(Evelia Farina) | ||
陸上 | マリシアカウスマナス選手(Margarita Formeiro) | ||
陸上 | マルタブオンギオルノ選手(Margarita Formeiro) | ||
イギリス(Great Britain) | 水泳 | ミッチェル選手(Mitchell) | |
ウガンダ(Uganda) | 陸上 | マリーウッサニー選手(Mary Musani) | |
カナダ(Canada) | ダイビング | メアリー・ベス・スチュアート選手(Mary Beth Stewart) | |
ソ連(Soviet Union) | 水泳 | ガリナプロズメンシコア選手(Zinaida Belovetskaya) | |
水泳 | スベトラナババニナ選手 | ||
水泳 | バレンティナヤコブレリ選手(Valentina Poznyak) | ||
ドイツ(Germany) | 競泳 | ウテ・ノアク選手(Ute Noack) | |
競泳 | ウィドルドウルセイマ選手(Wiltrud Urselmann) | ||
ニュージーランド(new Zealand) | 体操 | ポリーンガティナ選手(Pauline Gardiner) | |
ハンガリー(Hungary) | ダイビング | ツーザーコバックス選手(Zsuzsa Kovács) | |
プエルトリコ(Puerto Rico) | 水泳 | アンランデ選手(Ann Lallande) | |
ブラジル(Brazil) | 陸上 | アイーダトスサントス選手(AÃda dos Santos) | |
ペルー(Peru) | 水泳 | ロザリオヴィヴァ選手(Rosario de Vivanco) | |
ベルギー(Belgium) | 体操 | ベロニカ・グリモンプレツ選手(Veronica Grymonprez) | ミス五輪の花選出 |
メキシコ(Mexico) | 水泳 | シェルビアベルマ選手(Silvia Belmar) | |
水泳 | マルサスザザ選手(MarÃa Luisa Souza) | ||
水泳 | オルガベルガ選手(Olga Belmar) |

1964東京オリンピック10月16日代々木選手村美枝きものショー
日本伝統の着物を世界に発信する場となりました。
産着から始まりお宮参り、七五三、振袖と誕生から成人、そして花嫁衣装までと成長に合わせて変わりゆく着物の姿の他、訪問着、付け下げ、二部式きもの、祭半纏のように季節や場所に応じて変わる着物の種類を披露しました。また、茶摘み姿や大原女等今ではあまり見かけない珍しい衣装も発表し、好評を博しました。
ショーの最後には出演モデルと観客の選手達が一緒になってオリンピック音頭を踊りました。
小一時間のショーでしたが、マラソンのアベベ選手はじめ、多くのオリンピック選手と関係者が観に来られました。
着物着付け体験ときものショーのスタッフにインタビュー
「着物着付け体験」と「きものショー」の当日スタッフの一人で、アベベ選手にパンフレットを手渡している上の写真が当日新聞報道されて話題となった元女子社員南川和江さんです。当時のお話をインタビュー形式でお聞きしました。
- Q.きものショーはどこで、どのくらい行われましたか?
- A.代々木選手村のホール(おそらく食堂)で小一時間でした。
- Q.ショーにはどのくらいのスタッフがいましたか?
- A.本職のモデルさんが15-16人、素人のモデルさんが5-6名、総勢20名以上が出演しました。
裏方は、上田美枝社長(当時)をはじめ上田嘉一朗商店の女性社員が7-8人、プロの美容師さんと着付けの協力も得て行いました。
- Q.準備はいつ頃からされましたか?
- A.前年の1963年に東京オリンピック女子選手村村長で総世話役の佐閑晴(さだかはる)様より着物体験のお手伝いを依頼されて以来、一年がかりで河西節子が上田美枝・上田裕子・木内よしこなど、着物の分かる方の指導のもと準備しました。
着付け体験用には、何人もの縫製できる方の力を借りて20着分の着物を仕立て、一着ごとに小物すべてをそろえて選手村に向かいました。
- Q.当日は何かハプニングはありましたか?思い出を教えてください。
- A.きものショーと着付け体験2日間、ともにヒヤッとしたことなどは特に起きず、無事に終えました。
夢中で行い、二度とない楽しい経験でした。
今でもオリンピックが始まると、このことを自慢して、孫にはまた同じことを言っていると言われますが、私の宝物です。
パンフレットを配っていて、偶然アベベに渡している瞬間を撮られ、当時、業界紙によく載っていました。
掲載記事の紹介
この選手村で行われた「きものショー」と「着物着付け会」は後日、様々な媒体で紹介されました。
<参考ページ>
・日本オリンピック委員会
https://www.joc.or.jp/
・毎日新聞東京五輪への道
https://mainichi.jp/sportsspecial/tokyo2020/road-to-tokyo/?kydrtt_page=TKY0HST216