上田嘉一朗商店の歩み
(当ページ最初の画像は、今から80年前、1940年の上田嘉一朗商店:開店20周年記念として撮影)
大正9年(1920年)の創業以来、幾多の困難を乗り越え、大勢の素晴らしい出逢いと多くの方々に支えられて一歩一歩着実に歩いてきました。
和装の卸から始まった私たちの事業も、洋装からベビー用品と幅広く、総合ファッション商社として社会に貢献しています。
創業100周年を迎えるにあたり、これまでの実績を当時の写真とともにご紹介いたします。
上田嘉明により、日本橋馬喰町で創業(大正~第二次世界大戦まで)
(写真は、戦前:馬喰町店内の様子)
創業者の上田嘉明(よしあき)は明治30年(1897年)、山梨県西八代郡下部町久那土に生まれました。
高等小学校を卒業後、久那土を拠点に帯締めや羽織紐など和装品の外商を関東一円で行う「河西圭一郎商店」にて修行。
兵役を経て、ここで学んだことを生かして行商で身を起こし、大正9年(1920年)、人望の厚い優秀な商人だった曾祖父の名・嘉一朗を襲名し、上田嘉一朗商店を設立しました。
その数年後、日本橋馬喰町に店を構え、羽織紐や帯締め、糸や針などの販売を開始。月の3分の2は商品を風呂敷に包んで背負い、北関東から東北地方へ出張販売をしていました。
大正14年(1925年)、同じ山梨県西八代郡出身で、共立女子職業学校(現・共立女子学園)を卒業後間もない上田美枝と結婚。長女・裕子を授かるも、昭和18年(1943年)、嘉一朗は46歳の若さで他界。戦時中でもあり、美枝はやむなく店を閉じ、嘉一朗の郷里・久那土に疎開しました。
戦後復興
(写真は、1945年(昭和20年)頃上田嘉一朗商店店舗建設中 (現)東京都中央区日本橋横山町8番地 細谷商店・大嶋屋本店看板が見える)
(写真は、1945年(昭和20年)頃上田嘉一朗商店建設中 (現)東京都中央区日本橋横山町8番地)
戦争が終わり、昭和21年(1946年)頃、妻美枝は上田嘉一朗商店を馬喰町から現在の横山町8番地に、嘉一朗の念願だった現金問屋として再開しました。
第二次世界大戦後、妻上田美枝により和装品の現金問屋だけでなく、オリジナル商品の開発を始め、多様に展開
当時の主力商品は羽織紐や糸などの和装品でしたが、美枝はそれに加えて自身が毎日きものを着る中で、「ここはこういうふうになっていると具合がいい」と思うことを次々に商品化していきました。
たとえば裾よけには腰の丸みにあわせてヒダを付け、体によく沿うよう紐の位置も少し下に付けて動きやすく改良。肌襦袢も脇の身八つに力布を付けて補強し、何回洗濯しても丈夫なつくりにしたオリジナル商品を考案。これらはお客様にも好評でよく売れ、今でも「美枝オリジナル肌着」の名称で販売しています。
写真は、上田美枝が考案したつまみ衿と衿おくみつづき美枝きもの展示会の様子です。
昭和29年(1954年)、隣の横山町9番地に第二売場を設け、ベビー・洋装品の取扱いを開始。徐々に事業を拡大していき、取扱商品も和装品全般、呉服、小物ギフト、婦人アパレル、ベビー用品、タオルなど多様化していきました。
東京オリンピックの選手村にて、きものショーを開催し、上田美枝紫綬褒章受章
上田美枝のきものに対する貢献は国内だけに留まることなく、東京オリンピックや海外でも数多くのきものショーを開催し、外国の方々に着付けを行い着物のすばらしさを伝えてきました。
詳細は、『1964東京オリンピック選手村で行われた「外国人選手の着付け会」と「きものショー」について』ページをお読みください。
これらの功績により、昭和41年(1966年)に紫綬褒章を受賞しました。
ファッション館・美枝きもの資料館をオープン
昭和44年(1969年)、和装だけにとどまらず、ベビー、洋装、ギフト売り場が入ったファッション館をオープン。
<ファッション館新刊祝いの写真>
昭和53年(1978年)には、上田美枝の故郷山梨県に、特許で最高の賞である「注目発明賞」を受賞した裁ち目無しの産着(きもの)や美術品的なきものから庶民がこよなく愛したきものまでをまとめて展示した美枝きもの資料館を設立しました。
<美枝きもの資料館>
上田美枝の功績
(1980年(昭和55年)頃の神田祭 上田嘉一朗商店頭)
上田美枝は、毎日気軽にきものを着ることを目的に、女性ならではの視点で新しいアイデアを取り入れた作品は実に100件にも及びました。
きものショーの開催や紫綬褒章受章などにより、テレビ番組にも出演し、上田嘉一朗商店の事業も大きく発展しました。
詳細は上田美枝ページをご覧ください。
<上田美枝の功績>
変化を恐れず21世紀を駆け抜けて
(写真は、平成12年(2000年)上田嘉一朗商店80周年記念:上田裕子社長(当時)のご挨拶)
平成10年(1998年)、上田美枝は代表取締役会長へ、娘上田裕子が代表取締役社長に就任しました。
上田裕子社長は就任後、会社の近代化に取り組み、時代に合わせた商品構成の改革売り場の改装などに取り組みました。
海外への着物文化の普及にも努め、海外で着物ショーや着物着用体験の実演を行いました。(下の写真は、1998年(平成10年)リスボンでの着物ショー)
平成15年(2003年)、上田美枝の死去にともない、上田裕子が代表取締役会長へ、美枝の孫に当たる上田哲司が代表取締役社長に就任しました。
上田哲司社長は、上田美枝の功績を大切にしつつも、時代に沿った舵取りを行い、早期に情報系サーバーの導入により業務の簡略化を行いました。
また、インバウンドの強化にあたり、和装小物・和雑貨商品の充実を目指した結果、和装小物卸・和雑貨卸部門で日本一の品揃えを実現しました。
近年は、創業100周年に向けて、卸業だけでなく、息子謙一郎を中心にオリジナル商品の開発や、若者や外国人など着物初心者へ向けたコンテンツ発信(YouTubeチャンネルの開設など)を行い、上田美枝の着物をこよなく愛し、開拓する精神を引き継いでいます。
上田嘉一朗商店年譜
大正9年 1920年 |
創業者の上田嘉一朗が、羽織紐や帯締めなどの出張販売を中心とした和装問屋として上田嘉一朗商店設立 |
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昭和21年 1946年 |
上田美枝が先代上田嘉一朗の遺志継続の為、横山町8番地に上田嘉一朗商店を再開 |
昭和23年 1948年 |
株式会社上田嘉一朗商店を設立(資本金2,500万円) |
昭和29年 1954年 |
ファッション館(ベビー・洋装品)を横山町9番地に開設 |
昭和35年 1960年 |
和装館を6F建ビルに新築 |
昭和36年 1961年 |
染織サロン東京きもの卸設立 |
昭和38年 1963年 |
上田不動産設立 |
昭和39年 1964年 |
東京オリンピックの選手村にて、きものショーを開催 |
昭和41年 1966年 |
科学技術の功労者として紫綬褒章を上田美枝社長受ける |
昭和42年 1967年 |
上田繊維興業株式会社(オリジナル製造部門)を中央区東日本橋3丁目に設立 |
昭和44年 1969年 |
ファッション館(ベビー、洋装、ギフト売り場)を7F建てビルに新装 |
昭和53年 1978年 |
財団法人美枝きもの資料館設立 |
平成元年 1989年 |
アイテム館開設 |
平成3年 1992年 |
ファクタリングサービスを開始。裕和ビル完成(研修会議棟) |
平成4年 1993年 |
グリーンプラザ(展示会場)開設 |
平成5年 1994年 |
文化庁後援で、美枝きもの資料館、東京展を開催 |
平成7年 1995年 |
美枝きもの資料館、横浜展を開催。日本経済新聞社主催 美枝創作きものショーを開催。東條会館於 |
平成9年 1997年 |
ドイツ於日本文化祭出展。NHK文化センター主催 |
平成10年 1998年 |
ポルトガル於日本文化祭出展。NHK文化センター主催 上田裕子、代表取締役社長に就任 |
平成11年 1999年 |
上田裕子、中小企業功労により、東京都功労者表彰を受ける |
平成12年 2000年 |
創業80周年記念式典をロイヤルパークホテルで開催 |
平成15年 2003年 |
上田裕子、代表取締役会長に就任 上田哲司、代表取締役社長に就任 |
平成19年 2007年 |
美枝きもの資料館、高松宮妃喜久子殿下を偲ぶ特別展を開催 |
平成20年 2008年 |
美枝きもの資料館、上田美枝を偲ぶ特別展を開催 |
平成21年 2009年 |
情報系サーバーの入替。業務の効率化を図る 和装小物売り場の統合拡充 |
平成22年 2010年 |
創業90周年を迎える |
平成25年 2013年 |
ギフト・ショー出展 |
平成26年 2014年 |
約1万枚の浴衣を並べた特設会場を総合館地下に設ける |
平成27年 2015年 |
創業95周年を迎える |
平成28年 2016年 |
インバウンド対策で和装雑貨売り場を拡張 |
平成29年 2017年 |
ネット卸売りページを開設 総合館地下の季節売り場に綿入り伴天の売り場を大幅拡張 |
平成31年/令和元年 2019年 |
公式Youtubeチャンネル開設 自社HPの刷新(和装知識コーナー、100周年に向けて) 新しい人事制度の導入 |
令和2年 2020年 |
創業100周年 |