上田嘉一朗商店のことを知っていただくために欠くことのできない人物がいます。それが、先代会長の上田美枝です。

美枝は、創業者・嘉一朗の意思を受け継ぎ、女性ならではの視点で、「きもの」に新しいアイデアを取り入れました。美枝の意思は、現在の上田嘉一朗商店でも大事にしている部分です。「ミエ」ブランドとしてオリジナル商品を販売しているだけではなく、その精神を引継ぎ、これからもお客様に喜んで頂けるよう努めてまいります。

上田美枝の主な発明

裁ち目無しのきもの

きものを作るためには、反物を裁断して縫い合わせて作ります。しかし、赤ちゃんのお祝い着などは、お宮参りのときくらいにしか着ることがありません。これくらしか着ないきもののために、布を裁ってしまうのは「もったいない」と考え、折り紙のように折りたたんでいくことで、裁断することなく仕立てる「裁ち目無しのきもの」を考案しました。

衿袵(えりおくみ)つづきのきもの

美容院にいかないと着つけることのできない「きもの」ではなく、伝統の形を大切にしながらも、着る人の立場に沿った着やすいきものを作りたいという思いから、衿と袵を1枚の布で仕立て、2本の紐をつけた「衿袵(えりおくみ)つづきのきもの」を考案しました。これにより、着るのも簡単で、着崩れもしないきものになりました。

上田美枝年譜

明治四十一年
(1908年)
山梨県西八代郡市川大門町に生まれる
大正十三年
(1924年)
共立女子職業学校(現・共立女子学園)を卒業
大正十四年
(1925年)
上田嘉一朗と結婚
昭和十八年
(1943年)
上田嘉一朗逝去。和装問屋・上田嘉一朗を継ぐ
昭和二十一年
(1946年)
東京都中央区日本橋横山町に上田嘉一朗店を再開する
昭和二十三年
(1948年)
㈱上田嘉一朗商店を設立、社長に就任
昭和三十年
(1955年)
裁ち目無しの産着を考案
昭和三十三年
(1958年)
商品視察と服飾研究のため、欧米諸国を三ヶ月にわたって視察。作品もしだいに発表
昭和三十四年
(1959年)
裁ち目無しの産着で特許取得。以降、多数特許取得する
昭和三十五年
(1960年)
裁ち目無しの産着が、特許では最高の賞で、女性で初めて「注目発明賞」を受賞
昭和三十七年
(1962年)
社団法人全国発明婦人協会の副会長に就任 発明振興協会参与・発明学会参与に就任
昭和三十八年
(1963年)
『新しい仕立て方のきもの』(初めて特許を公開する)をマコー社より発行(大麦コタカ先生監修)
昭和三十九年
(1964年)
衿袵つづききもの「全国女性発明工夫展」に入選 「東京都科学技術功労賞」受賞 東京オリンピック選手村にて、きものショーを開催
昭和四十年
(1965年)
風呂敷で作った帯が、発明協会奨励賞受賞 ニューヨーク世界博覧会およびハワイにてきものショーを開催
昭和四十一年
(1966年)
紫綬褒章受賞 『新和裁全書』(日本図書館協会選定図書、全国学校図書館協議会選定書)をマコー社より発行
昭和四十二年
(1967年)
上田繊維興業株式会社設立、社長に就任
昭和四十四年
(1969年)
フランス、デンマークにてきものショーと日本の古典衣装の展示を行う
昭和四十八年
(1973年)
紺綬褒章受章
昭和五十年
(1975年)
伊勢神宮より瀧祭社を迎え、山梨県下部町に、三澤瀧祭社を建立
昭和五十五年
(1980年)
秩父宮妃勢津子様、美枝きもの資料館ご台覧 山梨県下部町より名誉町民の称号を受ける
昭和五十八年
(1983年)
高松宮妃喜久子様、美枝きもの資料館ご台覧 東京織物卸協同組合より顕彰状を受ける
昭和六十年
(1985年)
山梨教育婦人会の「山梨の生んだ女性を見つめる会」に樋口一葉、小川正子についで選ばれ、甲府市にて講演ときものショーを催す
平成元年
(1989年)
「暮らしの中の発明展」において新たに考案した「スクスク祝い着」が文部大臣賞を受賞
平成三年
(1991年)
山梨県立美術館にて「美枝きもの資料館展」開催 自叙伝『わたしの歩んだ道』発行
平成五年
(1993年)
麻布美術工芸館にて、美枝きもの資料館会館十五周年記念展を開催 三笠宮妃百合子様、秋篠宮妃紀子様、同展をご台覧 ドイツにて「美枝きもの資料館展」を開催
平成六年
(1994年)
アメリカ、コロラド州で「美枝きもの資料館展」を開催
平成七年
(1995年)
横浜高島屋にて「美枝きもの資料館展」を開催
平成九年
(1997年)
㈱上田嘉一朗商店社長を娘裕子とし、会長に就任する 孫の哲司が副社長に就任
平成十二年
(2000年)
上田嘉一朗商店、創業八十周年を迎える